経済学教-Economics rationalizes us-

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経済学教-Economics rationalizes us-

   前回の記事で、専門分野を勉強すると専門分野の考えに自分の考えが洗脳されてしまいやすいことを書きましたが、実際に経済学に対して学んだ内容に自分の考えが影響を受けやすくなる傾向が見られるという研究結果があるのでご紹介します。

経済学を勉強すると自己中心的になる?

   経済学を専攻している学生は、他の分野を専攻している学生に比べて「自己中心的」だという研究結果があります。


   行動経済学者のGerald MarwellとRuth Amesは次のような実験を行いました(説明をわかりやすくするために数字は実際の実験とは異なりますが、実験の本質は変わっていません)。


   【実験内容】


   50人のグループに、各自それぞれ500円が与えられます。 各自500円のうち好きな分のお金を自分のものにでき、残りのお金をグループ共通の「口座」に預けることができます。 最後に口座に預けてある合計金額を1.5倍にして、50人全員に山分けされます。


   【例】

   全員が200円を自分のものとして残りの300円を口座に預ければ、各一人がもらえる金額は200 + 300×1.5=650円となります。


   この実験をいろいろな学部の学生に対して行いました。 もちろんその中には経済学部の学生も含まれています。


   この実験で一番お得なのは、50人全員がすべてのお金を共通の口座に預けることです。 そうすればお金が1.5倍されるので、50人全員が750円をもらえることになります。


   つまり参加者全員が人間に本来備わっている利他的精神を発揮すれば、それが最高の結果を生み出すのです。


   では結果はどうだったかというと、経済学部以外の学生は平均して500円の50%にあたる250円程度を共通の口座に預けた一方で、経済学部の学生はたった100円、つまり20%しか共通の口座にお金を預けなかったのです。


   少ないのは当然といえば当然です。 何故ならこの実験だったら、500円を全部自分のものにするのがゲーム理論で言うところのナッシュ均衡なわけですから。 (ナッシュ均衡とは雑に言えば、自分が最も安定して確実にお金を得られる選択のことです)


   要は経済学部の学生は経済学が教えている「最も合理的」な選択をより忠実に行う傾向にあるのです。


   いまの実験だと、確かに経済学部生は他の学生よりも自己中心的になりやすいことを言っていますが、この原因が経済学の勉強にあるかどうかはわかりません。 本当に経済学が自己中心的な人物を作り上げるのかどうか、これも研究結果があります。


   Robert Frankら3人による実験では、学生に対して囚人のジレンマと呼ばれる合理的選択に関する問題を出して、学生が合理的な選択をするか見ました。 合理的な選択をすることは自己中心的な選択をすることを意味します。


   一人の学生に対して大学1、2年のときと大学3、4年のとき、計2回同じ問題を出してどう結果が変わるのかを見ました。


   すると経済学部以外の学生は、自己中心的な選択をする比率が53.7%→40.2%にまで減りました。 人は大人になるにしたがってより協力的になるものなので、このことが減少につながっていると考えられます。


   一方経済学部生はというと、自己中心的な選択をする比率が73.7%→70%とほとんど減らなかったのです。


   これより経済学を勉強することによって、合理的で利己的な性格になりやすい可能性があるのです。

人が合理的ではなく、人を合理的にさせる

   古典経済学では、人はRational(合理的)だとみなしています。


   Rationalというのは、他人の利害を考えずに自分が最も得をする選択をするという意味です。 つまり古典経済学では、自分が一番効果的にお金やものを得られる、自己中心的な選択をするのが人間である、そういう前提を置いています。


   しかし多くの人々は常に自己中心的な選択をするわけではありません。 人間には利他精神が生まれつき備わっています。


   災害が発生している現場にボランティアで手伝いをする人がいます。 アフリカの貧しい国々の人々のためにお金を寄付することができます。 泥酔してしまって一人では帰れない友達のために、終電を過ぎているのにタクシーを呼んで深夜増しの高額料金を支払ってまで友達を家まで送ってあげることだってできます。


   このように人は自分の利益を考えずに相手のためを思う行動、利他的な行動を取ることができる生き物です。


   こうした利他的性質を考えれば、従来の経済学の「常に人は自己中心的な選択をする」という考えがいかに空想的な前提であるかがわかります。


   しかし先ほどの実験結果を見るに、経済学を勉強した人はそうでない人に比べてRationalな選択をしがちであることがわかります。


   つまり経済学は人をRationalizeにする(合理的にする)学問なのではないか、そう首をひねってしまいます。


   「人間は合理的」という仮定が正しいのではなくて、この仮定が経済学を学んだ人を合理的にさせるのです。 エグい言い方をすれば、「人間は合理的である」という経済学教の教えに洗脳されてしまうのです。


   もちろん経済学を勉強した人がすべて自己中心的だというわけではありません。 人間的に素晴らしい人だってたくさんいるでしょう。


   また経済学の考えをリスペクトすることも別にそれはそれで良いです。 何を信じようとそれは自由です。


   専門分野を勉強しすぎて、平衡感覚を失った偏った考えに侵される、これが問題なのです。 これは経済学に限らず、数学でも哲学でもどの分野にも当てはまります。


   自分自身の経験、現実の様々な情報、いろいろな分野の知識、そういったものをひっくるめて自分で考えを築くことが何よりも大切です。 専門分野に考えを縛られるのではなく、柔軟に考えて自分がこれだ!と思う考えを自分自身で見つけることが一番重要だと私は考えます。

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