リード・タイム・バイアスとレングス・バイアスとは
以前の記事で生存率と死亡率について説明しました。 そして生存という言葉は医療界にとってメリットがあることを最後に少しだけ話しました。
何故生存という言葉は医療界にとってメリットがあるのでしょうか。 その一端を示すものとして、"リード・タイム・バイアス"と"レングス・バイアス"について説明します。
リード・タイム・バイアスやレングス・バイアスによって、見えないところで生存率を現実より高く見せ、私たちに医療の進歩を印象付けることができるのです。
リード・タイム・バイアスとは
リード・タイム・バイアス(Lead time bias)とは、生存期間が長くなることによって"医療が進歩した"と思わせるトリックを指します。
ここで生存期間とは医者に病気だと診断されてから亡くなるまでの期間を表します。
例えば55歳のときに胃がんと診断されて、その後5年後に胃がんで亡くなったら生存期間は5年ということになります。 しかし現代は医療の進歩によって、CTスキャンなどを駆使してがんを早期発見することができます。 その結果50歳の若さで胃がんを見つけられたとしましょう。
手術とか抗がん剤治療とかを駆使して、なんと最初に胃がんが見つかってから10年も生きられることができた! つまり生存期間が10年となって、昔に比べて2倍も延びています。
だけどちょっと待ってください。 上の二つ、よくよく見るとどちらも同じ60歳で亡くなっていますよね。 つまりがんの早期発見によって生存期間が長くなっただけで、亡くなる年齢は何一つ変わっていません。
これがリード・タイム・バイアスです。
ポイントは「生存期間のスタート=病気だと診断されたとき」だということです。 これによってがんを早期発見するだけで、死亡年齢は変わらない(つまり医療は進歩していない)のに生存期間だけが延びてしまい、医療が進歩しているように見えてしまうのです。
リード・タイム・バイアスを利用した悪質な例
医療の進歩により、ガン患者の生存期間は年々増加しています。 例えば2009年に国立がんセンター中央病院によるシンポジウムで、大腸がんの生存期間が1980年の6ヶ月から2005年には4倍の24ヶ月にまで延びていることを紹介しています。 そして国立がんセンターはこれを抗がん剤の成果だと述べています。
オレンジ色の「生存期間中央値」というところだけに注目してもらえれば結構です(英語は無視してください)。 生存期間中央値とは、とりあえずここでは大体の生存期間思ってもらえればOKです。 (ただし生存期間中央値が5年だからといって、人によっては1年で亡くなったり10年生存することもあるのでそこは注意してください)
一見すると抗がん剤によって生存期間が延びた、やったー!ということになります。 しかしここにも実はリード・タイム・バイアスのマジックが関わっているのです。
「がんもどき理論」で有名な放射線治療医の近藤誠氏は、著書「余命3ヶ月のウソ」の中で以下のように述べています。
1980年代あたりまでは大腸がんと判断するための肝転移は、がんの直径が8cm以上にならないと中々区別できなかったとのことです。 そして肝転移が発見されてからの生存期間中央値は大体6ヶ月程度でした。
しかしがん早期発見技術の進歩によって、2005年には直径1cmの転移したがんを発見できるようになりました。 直径1cm→8cmになるためには大体18ヶ月かかるので、医療技術の進歩によって従来より肝転移を18ヶ月早く見つけられるようになったのです。
上の表にあるように、2005年の大腸がん生存期間中央値は大体24ヶ月。 よって肝転移したがんが直径8cmになってからの生存期間は、24-18=6ヶ月。
つまり1990年も2005年も、肝転移した直径8cmのがんが見つかってから亡くなるまでの期間は一緒なのです。 これは大腸がんの薬が死亡率の低下にほとんど役に立っていないことを意味します。
生存期間が延びただけで、亡くなる年齢、死亡率はほとんど改善されていないのです。 つまり抗がん剤の効果は全くと言っていいほどないのです。
リード・タイム・バイアスを利用して抗がん剤の効果を不当に吊り上げた、悪質な例です。
レングス・バイアスとは
レングス・バイアス(Length bias)またはレングス・タイム・バイアス(Length time bias)とは、生存率が"真実"よりも高い数値で計算されやすいことを示すトリックのことを言います。
生存率は最初に述べたように、がんと診断された人のうちで生存する人を指します。 しかし現実には、がんと診断される前にがんで亡くなる人ももちろんいます。 特に進行の早いがんに掛かっている人は診断前にがんで亡くなりやすくなります。 このような人は生存率の計算から省かれてしまいます。
これにより生存率が不当に吊り上げられてしまいやすくなるのです。
より具体的に理解してもらうために、下図をご覧下さい。
青線はがんと診断された人を指します(点線のScreening timeを通過していることが診断されたことを表します)。 一方で黒線はがんに掛かっているのだけれども、まだがんと診断されていない人、もしくは診断前に亡くなった人を指します。 また矢印の先に×が付いている人は、そこでがんによって亡くなったことを意味します。
生存率の定義を思い出して下さい。 病気だと"診断された"人のうち、5年後に生きている人の割合でした。
そうすると、生存率は青線の人の中で生きている人(矢印の先が×でない人)によって計算されます。 黒線はがんを患っていようがなかろうが、診断されていないので生存率の計算からは省かれます。 よって生存率は4/5=80%となります。
一方で診断されなかった"真の"がん患者も含めると、がんに掛かっている人のうち生存している人("真の"生存率)は青線+黒線のうち生きている人になります。 つまり5/12=41.7%となります。
医学界で使われている、私たちが目にする生存率と"真の"生存率との乖離がすごいですよね。 進行の早いがんが診察を受けずに亡くなることで、こうした可能性が出てきて生存率が高く計算されがちになるのです。 これがレングス・バイアスです。
* * * * * *
しかし生存という言葉による医療界のメリットは、上のようなバイアスによる医療界のイメージアップだけに留まりません。 もっと本質的に重要なメリットがあるのです。(→次の記事)
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