ベーコンの線形モデルとは-何故理論あってのテクノロジーなのか-
私たちは物理や化学といった純粋科学のアカデミックな理論をスタートに応用科学やテクノロジーが生まれると考えてしまいがちです。
しかしテクノロジーは理論→応用のような決まりきった方法ではなく、Trial and errorを通じて偶発的に生まれることが多いものです。 以前の記事のように、ジェットエンジンもイギリスの産業革命もTrial and errorが大きな役割を果たしています。
2014年に青色LEDの開発でノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏も、Trial and errorの繰り返しで開発に成功しています。 さらに中村修二氏は、物理の発展はほとんどは発明→理論という順番で、理論→発明というのは順序はかなり稀だと述べています。
では何故私たちのほとんどはアカデミックな理論→テクノロジー、発明という順序を正しいと思い込まされているのでしょうか。 それは20世紀に起こった科学者たちによる科学の地位確立の動きです。
しかし20世紀の動きを述べる前に、ベーコンの線形モデルについて説明しなければなりません。
ベーコンの線形モデルとは何か
私たちの多くが考えている、アカデミックな理論の発展がテクノロジーや経済発展に寄与するという考えはフランシス・ベーコンの線形モデルと呼ばれているものです。
フランシス・ベーコンは16世紀から17世紀のルネサンス期に台頭したイギリス出身の哲学者で、「知は力なり」という有名な言葉を残したことで知られています。
ベーコンの線形モデルは科学と経済の発展との関係を次のような順序で捉えているのが特徴です:
- 政府が研究開発資金を提供し、アカデミックな研究開発を行う
- アカデミックな理論をもとに基礎研究を行う
- 基礎研究の結果を応用科学の発展やテクノロジーの開発に応用する
- 経済が発展し、ますます豊かになる
つまり現代の科学の世界のように、基礎→応用によって世の中が豊かになるという発想に基づいたモデルがベーコンの線形モデルなのです。
ベーコンの線形モデルを私たちは無意識のうちに正しいと思っていますが、その背景にはおそらく私たちの社会に同じようなシステムが溶け込んでいることがあげられるでしょう。
例えば私たちが学ぶ勉強スタイルを考えてみましょう。 算数を学ぶ時も、最初は簡単な足し算、引き算などの計算をひたすら計算して基礎計算能力を養ってから、文章題や図形の面積の計算などの応用問題を解きますよね。
基礎→応用、つまりベーコンの線形モデルチックなわけです。
また小学校から大学まで勉強してから社会に出るというシステムは、まさに線形モデルです。
まず政府の代わりに両親が教育費を払ってくれることによって、私たちは学校で国語や数学といった勉強をします。 これが上のモデルでいうところの1、2に対応します。
そして高校、大学と勉強を続けていって十分に基礎的学力をつけた後に、私たちは社会に出て働きます。 これがベーコンのモデルでいうところの3に該当する部分です。
そして最後に企業で頑張って働いた結果、新商品が売れるなどして、企業の発展、経済の発展に寄与するのが4番目です。
このように勉強のカリキュラムや人生プロセスといったシステムに、線形モデルの考えが当たり前のように溶け込んでいるのです。 こうしたシステムによって、おそらく私たちのほとんどは科学に対するベーコンの線形モデルを直感的に妥当だと感じさせているのでしょう。
20世紀になってベーコンモデルが奨励され始めた
科学が台頭し、ベーコンの線形モデルが正しいという(根拠のない)認識が大きく広まったのは20世紀になってからです。
20世紀になると、テクノロジーの発展のために科学の知識が重要であるという考えが広まったのです。
著書「Between Understanding and Trust」の中で、社会科学者のUlrike Feltは次のように述べています:
It was hoped that more knowledge would indirectly lead to a more positive way of dealing with fundamental changes due to science and technology. In addition, orientation was needed in an increasingly complex world, and scientific knowledge was supposed to be able to offer it.
要は次のようなことを言っているのです:
- より多くの知識が科学やテクノロジーの発展に間接的に寄与すると期待されていた
- 科学の知識がより複雑化した世界に対応するための情報を提供してくれると思われていた
20世紀に入ってから、科学者は科学機関の設立に躍起になりました。 機関を設立することで政府から金銭面での支援を受けることによって、科学の地位、権力を上げようと努めたのです。
またこの時期は科学者だけでなく、一般の人たちも科学に対する関心が高まった時期でもありました。 科学に関する本が売れたり、映画やラジオ、新聞等でも科学が積極的に扱われるような時代でもありました。
一般の人たちに価値のあるものといったら宗教でしたが、宗教に置き換わる何か価値のあるものを見出した先が科学でした。 また当時の労働者の住環境がひどかったため、自分で衛生学や健康、人間の体に関する科学的知識を学んで応用しようという考えもありました。
このように20世紀の初頭は科学者だけでなくて国民の間にも科学が広まった時代でした。 その中で自然とベーコンの線形モデルが受け入れられ始めていったのです。 アカデミックな理論を科学のスタートラインにすることで、理論の権威を高め科学者の地位を向上させることになりますから。
ベーコンの線形モデルの採用が決定的となったのは、原子爆弾の製造の成功とアメリカ国立科学財団(NSF)の設立です。
第二次世界大戦中に原子爆弾を製造するアメリカの国家プロジェクト、通称マンハッタン計画というものがありました。 優秀な物理学者や技術者を集めて、ベーコンモデルチックに原子爆弾の作製を行ったのです。
つまりアメリカ政府からの金銭的支援をもとに原子物理学に関する基礎的な実験を繰り返して、その結果を原子爆弾の製作に応用するという手法がとられました。
ベーコンモデルの方法を取り入れることによってマンハッタン計画は見事成功して、実際にそのノウハウで作製された原子爆弾が広島、長崎に投下されています。
マンハッタン計画の成功によってベーコンの線形モデルの正当性、つまり基礎理論、基礎研究があって始めてテクノロジーを生み出せるという考えが妥当であるとの認識が大きく広まりました。 つまり科学者があってのテクノロジー、発明という認識が広まり、科学者が権威を獲得することに成功したのです。
その結果として、NSFも設立されたのです。 NSFはアメリカの連邦科学機関ですから、政府と科学の密接なつながりが保障されたのです。
歴史学者のPhilip Scrantonは、NSFの設立がベーコンモデル正当化の決定的な出来事だと述べています。
※Philip Scranton (2005) Technology, Science and American Innovation
こうした歴史によって、基礎→応用という順序を正しいと考える科学至上主義な世界が創り上げられていったのです。
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