スウェーデンの結核死亡率の歴史-寿命を延ばす要因は医療だけではない-
私たちは医療の進歩というのをリアルに実感する世の中に生きています。 その医療の進歩を実感する一番の要因は、先進国における平均寿命の増加ではないでしょうか。
第二次世界大戦が終わると先進国の平均寿命はどんどん上昇していきました。 例えば日本の男性は1950年の段階で平均寿命が60歳に満たなかったですが、2014年には平均寿命が80歳を超えるまでになりました。 64年で平均寿命が実に20歳以上も伸びたことになります。 他の先進国でも軒並み平均寿命は伸びています。
また第二次世界大戦後、医療は進歩しています。 結核等の抗生剤、放射線治療、マンモグラフィーといった予防医学等々。
それに私たちも医療を身近に受けられるようになりました。 国民皆保険制度導入によって最新の医療技術、医薬品、医療機器による医療を誰もが受けられるようになりましたから。
こうした理由から、私たちの平均寿命の増加は医療の進歩によってもたらされたという考えを自然と受け入れてしまっています。
しかし寿命の増加は決して医療の進歩だけによってもたらされているのではありません。 別の要因、例えば衛生環境の改善といった社会的な要因などを総合して寿命は延びているのです。
それを示す一つの例として、スウェーデンにおける結核の歴史をご紹介します。 多くの人は結核による死亡率の減少は抗生物質によってもたらされたと思っているでしょう。
しかし実際は結核の抗生物質が登場する以前から、衛生環境の改善等で既に劇的に結核の死亡率は減っているのです。 抗生物質はあくまで結核の猛威が弱まっているところに「止めを刺した」という役割であって、必ずしも結核減少に最大の役割を果たしたとまでは言えないのです。
スウェーデンにおける結核死亡率の歴史
結核は1943年にセルマン・ワクスマンらが発見したストレプトマイシンという抗生物質に端を発して、その後様々な結核治療薬が生み出されています。 このため私たちは結核がこういった抗生物質による治療によって劇的に回復したと思いがちです。
しかし実は結核は北欧地域において、薬による治療が始まる前に既にかなりの水準まで結核による死亡率は減っているのです。
17世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパでは結核が大流行しました。 その中でもスウェーデンの首都ストックホルムでは、1750-1830年の間で結核の年間死亡率は0.8%でした。 つまりストックホルムの人口10万人につき800人もの人が亡くなっていたのです。
またこの当時はすべての死因のうち実に20%が肺結核という状況でした。 こうしたことを考えると、いかに結核が恐ろしい病であったことかおわかりでしょう。
結核が大流行した主な原因は生活水準の低さや不衛生といった社会的な問題です。 一つの部屋に複数の人が寝たり同じベッドを複数人でシェアしたり、また換気扇が家に取り付けられていないという住環境の悪さ。 それに工業化によって既に結核が流行っている地域に人が多く押し寄せることによって、大量の人に伝染して結核が流行ってしまったのです。
しかしこれら基本的な衛生環境の改善や結核の拡散を防止する法律の制定による努力の末、19世紀の後半から患者が減り始め20世紀の中ごろにはもう結核患者はかなり少なくなりました。
1943年におけるスウェーデン全体の結核死亡率は0.069%にまで減っています。 つまり10万人中69人までに減ったのです。
上に述べたとおりに、ピーク時には首都のストックホルムだけで10万人中800人が結核によって亡くなっていたわけですから、かなり減ったことがわかります。 日本でのガンによる死亡率が10万人中280人だということを考えれば、どれくらい少ないかがわかることでしょう。
しかも日本でのガン死亡率は抗がん剤、放射線治療といった医療を受けられる環境での数字です。 一方1943年はまだ薬によって結核の治療が行われていない時代です。
こうしてみると、薬に頼らずとも"不治の病"と言われた結核の死亡率が、もっと基本的な衛生環境の改善、住環境の改善といったことでちゃんと減っているわけです。 つまり結核による死亡率の改善は社会的な要因の改善が大きいのです。
結核の改善は確実に平均寿命を増やしています。 結核が大流行していた18世紀後半のスウェーデンの平均寿命は35歳くらいでしたが、社会的要因の改善によって結核が収束した1940年あたりのスウェーデンの平均寿命は65歳程度まで、2倍近く増えています。
こういうことを考えると、平均寿命の増加に影響を与えているのは医療の進歩だけではなく、むしろ社会的要因が強いような気がします。
もちろん医療の進歩も平均寿命の増加に寄与していることは確かです。 実際、スウェーデンでの結核の死亡率も、結核治療薬が既に発達した1976年には10万人中2人のレベルにまで減っています。 つまり1943年の約35倍改善していることになります。 しかし結核における医療の力は、既に猛威が弱まっているところに止めを刺した感が否めません。
医療の進歩だけではなく、衛生環境の改善といった別の要因が平均寿命の増加に大きく関わっている。 こうした広い視野で健康を捉えるのが大切でしょう。
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