Ludic fallacyと教育-学校で学ぶ確率はすべてゲームの世界-
前回の記事でLudic fallacyについて話しました。 Ludic fallacyとは確率的な物事をカジノのようなゲームとして捉えてしまう過ちのことでしたね。
何故人々がLudic fallacyに陥ってしまうのかを考えると、学校で受けた確率に関する教育内容というのが一つの原因ではないか、そう思って仕方がありません。
学校で教えられる確率はすべてゲームの世界
私たちは学校の数学の授業で確率について教わりますよね。 私は中学と高校の頃に数学の授業で確率を教わりました。
学校で教わった確率の内容を思い出して下さい。 コインの表裏が出る確率、サイコロを投げたときに出る目の確率、特定のカードを引き当てる確率、それにツボに入っている赤玉、白玉を引き当てる確率... 考えてみると、学校で教わる確率はすべてゲームに関する確率でした。
実はこうしたカリキュラムが、知らず知らずのうちの大半の人を確率が「ゲームの世界」と考えてしまうきっかけになるのではないでしょうか。
学校で確率を学ぶ目的は、あくまで数学的に確率を計算できるようにしましょう程度です。 簡単に確率を計算できるのはサイコロのようなゲームくらいしかないので、学校で習う確率の内容がゲームの世界しか扱わないのは仕方のないことではあります。
しかしこれが確率とゲームをリンクさせてしまう大きな要因になってしまいます。 何故なら高校での数学の確率の授業を最後に、私たちの大半は確率について能動的に学ぶこともなければ考えることもないからです。
私たちは若いころに勉強した内容に考えが縛られがちですから。 高校以来確率について何も考えなければ、確率に対する考えが更新されずに高校の頃までに染みついた考えが頭を占めることでしょう。
しかもメディアでも「地震の科学的な予測」といったことが報道されるため、確率は理論的にゲームのように計算可能というイメージに拍車がかかっている気がします。
私も恥ずかしいことに、社会人になるまでLudic fallacy、つまり確率=ゲームという誤った考えに陥っていました。 社会人になってバブルの歴史といった、理論ではとらえられない確率的現象を学ぶことによって、世の中が予測不能でゲームとは到底考えられない様々な確率に満ち溢れていることを少しずつ理解していきました。
専門分野教
さらに大学に行って勉強熱心な学生は専門分野を集中して勉強するようになります。
専門分野の勉強を熱心にしたことがある方ならわかると思うのですが、専門分野を本気で勉強すると専門分野の考えに自分の考えが支配されやすくなります。
例えば私のように数学をガチで勉強すると、「世の中はすべて数学で表現できる」という考えに支配されやすくなります。
大げさな表現をするならば、専門分野教という、一種の宗教の信者になるようなものなのです(私だったら数学教信者ということです。ただし現在は脱退しています)。
ではもし経済学やファイナンスを勉強した人が経済学教の教えを敬けんしてしまったらどうなるでしょうか。 そうなると「経済学やファイナンスで学んだ理論」というレンズを通して世の中を見ることになるでしょう。
経済学部の人は市場効率論とか現代ポートフォリオ理論、ブラック・ショールズ方程式などを学ぶことになります。 これらは正規分布という仮定をおいたゲームの中の話です。
経済学部の人はこうした正規分布に支配されたゲームという目線で現実を捉えやすくなります。 つまりLudic fallacyが働きやすくなるのです。 そしてこうした人たちが実際に金融の現場で働いているのです。
専門分野を勉強することが悪いと言っているのではありません。 専門分野の考えが現実を正確に表しているという、誤った考えに固執してしまうのが問題なのです。
確率はゲームで捉えきれない→結果を考えろ
上で述べたことをまとめると次のようになります:
- 学校教育ではゲームの中の確率しか勉強する機会がない
- 多くの人は学校教育で学んだ内容に考えが縛られやすい
- よって多くの人がゲームの中の確率で物事を考えてしまう
しかし私たちの世界はゲームで捉えられない確率で満ち溢れています。
地震や火山の噴火の確率、戦争が起こる確率、働いている企業が倒産する確率など、ゲームで捉えられない確率やゲームで捉えようとしても正確には程遠い確率が世の中を占めているのです。
確率をゲームとして捉えるのは一つの考え方としてはありかもしれませんが、そのゲームが正しい保証はありません。 一つの考え方程度に捉えるのが無難です。
繰り返しになりますが、大切なのは起こる確率を考えるよりもむしろ起こった時の結果がどの程度の規模かを考えることです。 そして規模が大きい場合には、被害を最小限にとどめたりする行動を行うことが肝心です。
地震が起こる確率は正確にはわかりませんが、備蓄をしたり耐震工事をする等で被害を和らげられます。 働いている企業が倒産する確率はわかりませんが、副業や投資をして別の収入減を確保しておけば収入がゼロになることを防げます。
飛行機や鉄道の事故が起きる確率など、大幅な改善が可能で限りなく起きる確率が低くなり、起きたとしても影響が拡散しないものであれば、確率で考える意味は十分あります。
しかし自然現象、人間心理などが関わるいつ起きるとわからない確率的な問題で、もしも仮に起こった時に全体に波及する影響がとてつもなく大きいものに対しては、確率ではなく日頃から被害を最小限に食いとどめる意識が最も大切なのです。
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