Sunk-Cost Fallacyと意思決定-諦めたらそこで試合終了?-
諦めたらそこで試合終了ですよ――そんな言葉が世の中に溢れています。 そして多くの人は、こうした諦めないことの大切さを胸に努力します。
一方で「諦めないことが大切」だとする風潮は、途中で諦めた人を弱い者と見なす偏見にもつながります。
しかし本当に何事も諦めないことが大切なのでしょうか?
答えはイエスでもノーでもありません。 むしろ状況によっては諦めることは、勇気があって合理的な判断になるものです。
大切なのはその人の意思決定。 その人が自分なりの意思決定によって、続ける・諦めるの選択したかが大切になるのです。
Sunk-Cost Fallacyと根拠なき忍耐
Sunk-Cost Fallacyとは、自分が今まで多くのリソースを投入してきたものに対して過度に期待を込めてしまう人間の残念な性質のことです。 何故残念なのかというと、損をしているもの、もうこれ以上やっても効果がないものに対してSunk-Cost Fallacyが働きやすいからです。
皆さんも次のような経験をしたことがあるのではないでしょうか:
- 毎日残業が辛くて心身ともに疲弊し仕事を辞めたいが、働き続ければきっと報われると信じてもう少し辞めずに仕事を頑張ってみる
- 好きな人にフラれてしまったが、どうしても諦めきれずにしつこくアタックしてしまう
- 人身事故で電車が止まったとき、別の路線で迂回することも可能なのに、すぐに電車が動き出すことを信じてしばらく粘ってみる
- 仕事や研究で何回も同じ方法を試して失敗したが、悔しくてやり続ければ何とかなると思ってさらに同じ手法を継続する
こうした感情や行動にはSunk-Cost Fallacyが関わっているかもしれません。
自分の努力が報われなかったとき、嫌な気分になったとき、人は今までの努力や時間、損した気分(Sunk Cost)に報いてくれる結果を強く望むものです。 しかしこうした気持ちは、Sunk-Cost Fallacyが生み出す感情の罠の可能性があります。
Sunk-Cost Fallacyという人間の間違った感情によるものであるともつゆ知らず、「諦めたら試合終了」という聞きなれたフレーズを思い出して「いや、まだ頑張らないと」と思い、見込みもないものに対してさらに"根拠なき忍耐(Irrational Perseverance)"を自らに課して粘ってしまう。
その結果、結局何も得られずにさらなる虚しさを感じてしまうのです。
Sunk-Cost Fallacyと印象論
どうにかしてSunk Costを取り戻そうとしてしまうのは、何も当の本人の問題だけではありません。 周りの人の意見もまた、本人に根拠なき忍耐を強いてSunk Costを働きやすくする要因です。
私たちは目に見える情報に物凄く影響を受けやすい一方、当事者の意思決定プロセスといった目に見えない情報を判断基準から外してしまう傾向にあります。 そのため人はついつい、目に見える情報による結果論や印象論で物事を判断してしまうのです(→結果論バイアス)。
諦めずに頑張り続ける人に対してはポジティブな印象を受け、周りから見ると応援したくなります。 一方で途中で諦める、やめるといった選択は周りから見るとネガティブな印象になりやすいです。
そのため何かを諦めようとしている人に対して、ついつい「頑張れば良いことある」と応援したり、ときには「辞めたければ辞めればよい」と強く当たってしまうのです。
こうした風潮によって、「諦めないほうが良いのかなぁ...」という考えにさせることで根拠なき忍耐を強いて、Sunk-Cost Fallacyの泥沼によりハマりやすくさせるのです。
ネットは間違いなく、根拠なき忍耐を働かせてSunk-Cost Fallacyにハマりやすくさせる大きな要因の一つでしょう。 当事者の気持ち、状況を言葉にしっかり反映させることは難しいので、周りはより結果論や印象論で判断しがちになるからです。
例えばネットで「仕事が忙しすぎて体調を崩し、仕事を辞めたいがどうしたらよいだろう」という質問者に対して、「辞めたければ辞めればいい」「他の人だってみんなそうだけど頑張っている」といった発言で質問者を突っぱねる人も結構いるものです。
こうした辞めることに対して強く当たる意見のほとんどは「目に見える情報だけで考えた印象論」だと思ってください。 意見をしている人のほとんどは、辞めようか迷っている人の本当の気持ちを知りません。 単に目に見える質問内容、情報だけみて、相手の気持ちを深く考えずに印象だけで意見を述べているのです。
しかし人間心理をあまり知らない人からすると、こうしたキツいアドバイスは間違いなく質問者の心に大きく影響するはずです。 私もまだ人間心理に関する知識が少ないときに「ちょっと仕事辞めたいなー」なんて何となく思った時に、こうした「辞めることは逃げ」という何人もの回答を見て、結構心がグサッとしたことがありますから(笑)。
諦めることに対するネガティブな意見には結果論や印象論が大きく絡んでいることを、Sunk-Cost Fallacyに陥らないためにも覚えておくことが重要です。
諦めることが正しい選択だと思える状況は普通に存在する
最終的に大切になってくるのは、当たり前ですがその人の意思決定です。 諦めようが諦めまいが、自分が納得できる結論を出して、その判断を無駄にしないようまた新たに努力すればよいのです。
特に重要なのは、別に諦めたとしてもそれがむしろ正しい選択だと思える状況は普通に存在することです。
例えば私も学生時代に数学に没頭して研究者になることもチラッと夢見ていましたが、結局研究の道に進んでも大成できないだろうと悟り、数学の研究者になる道を諦めて社会人になりました。
こう決断した大きな理由は、数学に対する基本的な姿勢のズレです。 抽象的な問題ばかり考えているうちに「数学で一番重要なのは論理力」という誤った思考にハマり、数学の研究でおそらく最も大切である直観力や想像力が大きく欠如してしまったのです。
研究を進めていくうちにこうした姿勢のズレに気づき始め、研究を進めてもまずいという思いが日に日に増していきました。 こうして研究者への道をスパッと切って、社会人になることを選択したのです(但し当時はSunk-Cost Fallacyによる抵抗があったことも確かです)。
いま思えば、この選択は正しかったと実感しています。 パソコン等の実務スキルをあげることができましたし、社会人になったからこそ、世の中のいろんな問題に興味を持てたり、心理学、経済、投資など様々なジャンルの本を読むようになりましたから。 おかげでかなり幅広い思考をできるようになったと実感しています。
もしもずっと数学の研究を続けていたら、数学の世界に頭が縛られて非常に狭い思考に陥ったままだったことでしょう。 それにこうしてサイトを運営しているなんてなかったと思います。
途中でやめることに良い悪いは関係ありません。 それはあくまでもイメージによるものにしかすぎません。
結局は、自分の理想の将来像や、お金と言った現実的な要素を考えた上で、自分に取って最適だと思える意思決定を行えば良いのです。 そしてその意思決定が正しいと思えるように自分なりに新しいことを努力すればよいのです。
「諦めたらそこで試合終了」という考え方は、どうしても叶えたい夢があったり、自分なりに成功する見込みが多少なりともあると感じていることに対してはとても有効です。
しかし冷静に考えて見込みがないことに対して「諦めたらそこで試合終了」と固執することは、Sunk-Cost Fallacyを助長して自分を泥沼にはまらせる要素になることも忘れてはいけません。
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