人間の本質は余剰と無駄にある-効率化を求める風潮へのアンチテーゼ-
ITが発達してから効率化や最適化といった考えがより目立つようになってきました。 ネットや話題の本を見ても"効率"、"最短距離"、"爆速"といった急かすような言葉ばかり並べられていて、のろまなカメはまるで現代社会で生きる資格がないかのごとく、脅し文句のように使われています。
「金持ち父さん・貧乏父さん」でロバート・キヨサキは、自らの資産を働かせてお金を生み出せる領域を"ファースト・トラック"(Fast track、高速車線)と形容しましたが、これを「効率化、最適化」という言葉と都合よくつなぎ合わせた風潮を何となく感じてしまいます。
読書でも速読がもてはやされたり、ダイエットや筋トレでも短期間で効率的にできるものばかり紹介されています。
効率や最短距離といった"無駄を否定する"言葉が頻繁に使われていたら、あなたの心の隙間を狙った人気取りの手法だと思ってください。 ITの発達によって生まれたブームに乗っかっていると思った方が良いです。
いまの時代、仕事がどんどん忙しくなって空いている時間が少なくなっている大人が多いです。 効率的に、最短距離で行いたい、そうした心の隙間を狙ったマーケティング的な理由があると思ってください。
何故こんな効率化や最適化といったことを否定しているのか。 それは人間は効率化や最適化といったものとは真逆の性質を保有する生き物だからです。
無駄を活かす、ここに人間の本質が隠されていると私は考えています。
効率ではなく無駄を活かすところに人間の本質がある
無駄を活かすことが人間の本質であるとはどういうことでしょうか。 これを理解するためにまずは当たり前のことを考えてみましょう。
何故私たちは生まれつき2つの腎臓を持っているのでしょうか。 何故2つの肺を持っているのでしょうか。
これはもちろんいざというときの保険のため。 もし万が一片方の腎臓や肺に問題が起こっても、保険を使うことで生き延びられるようにするためです。
効率を求めるのであればこうした余剰分の腎臓や肺はむしろ邪魔ものです。 別になくても生きられるのに、わざわざ2つあることで必要な栄養は増えるし体重が増えてカロリーの消費も増えるしまさに無駄です。
しかし効率を求めるよりも無駄を搭載することで、万が一の事態が起こっても生き延びられることを選択したのが人間です。
こうした効率目線ではなく無駄目線によってできているのは何も肉体的な部分だけではありません。 心理面でも同様です。
私たちが効率的に行動したり物事を考えるには、意識的にSystem2を使うことが欠かせません。 しかしこちらの記事で説明した通り、System2は使えば使うほど体力を消耗してしまいます。
しかもSystem2は早く考えることに慣れていません。 効率化を求めるにはSystem2をフル回転させて爆速で行動する必要がありますが、そうするとSystem2のライフが勢いよく消耗することになります。
それに効率化を求めるためには複数のタスクを同時にこなす必要もあるでしょう。 しかしそれも人間の性質に適していません。
複数のタスクをめまぐるしく行おうとすると、Switching costやMixing costといった負担が生まれてしまいこれらもSystem2を疲弊させる原因となります。
このように人間心理も効率的に物事を行うようにセットアップされていないのです。
日本では2000年あたりからうつ病の患者数が増えていますが、厳しい時間制限の中で全く余裕がない状態で生産性、効率を追い求める風潮が広まったことを考えれば、多くの人が精神に異常を来たすのは当たり前です。 人間の本質である余剰、余裕を排除しているわけなのですから。
一方で効率を無視して、代わりに量をこなしていくとだんだんと余剰が生まれてきます。 繰り返し量をこなすことで単純接触効果によってポジティブな感情が生まれますし、繰り返しによる慣れによって頭の負担がだんだんと減っていきます。
こうした慣れや経験によって心理的な余裕を感じられるようになって初めて、質や効率を考える気力が生まれてきます。
さらに一見無駄だと思える作業を行うことによって、幅広い思考が出来るようになって思わぬところで無駄を実利に活かすことも出来ます。 私もつまらない理由がきっかけで英語の勉強を22歳のときに始めましたが、今では洋書や論文を読んだり海外企業の決算書を読んだりめちゃくちゃ活かせています。
もちろんこんなことは英語を勉強した当初には思いもよらなかったことです。 しかし英語を学んでいくうちに、こうした行為を行う余裕が生まれたのです。
人間の本質は効率ではなく余剰にあるのです。 余剰によって生存力を増し、効率を考える余裕が生まれ、思いもよらないアイデアも浮かぶようになる。 一見無駄だと思える余剰や余裕、ここにこそ人間の潜在能力を発揮させるエンジンとなるのです。
関連リンク
・最初は効率をあまり考えずに、繰り返し量をこなして慣れることが何よりも大切です
→単純接触効果を学習に応用する-まず量こなせ、話はそれからだ-
関連ページ
- System1、System2とは-人間心理の最も基本的な分類-
- System2はSystem1の審査人-考えてみようスイッチでSystem2が動き出す-
- System2の2つの弱点-System1のシグナルをSystem2に変換できるか-
- Cognitively Busyとは-不安が負担を生む-
- Ego Depletionとは-感情を押し殺すことの代償-
- System2は使えば使うほどエコに使える-やり始めは何事も大変-
- 複数の作業を同時にこなすと負担が掛かる-Switching costとMixing cost-
- 時間の牢獄から抜け出すことのすすめ-時間を排除し心理負担をなくす-
- 人間の本質は余剰と無駄にある-効率化を求める風潮へのアンチテーゼ-
- 不安を紛らわすバカげた対処法-自分で自分を実況する-
- プライミング効果とは何か-賢くなる上でとても大切な連想能力-
- プライミング効果を英語学習に生かす
- 3分で理解する財務諸表-賢くなるためのプライミング効果活用例-
- 人間が連想能力を持つ理由-進化の過程で身につけた人類繁栄のための知恵-
- プライミング効果による、言葉や表情と気持ちや行動意欲との結びつき
- 確証バイアス(Confirmation Bias)とは-自己肯定や社会肯定の根幹-
- 社会の末期では確証バイアスは我々を地獄に落とす
- 人間の行動は信じることから始まる?-自ら信じられることを能動的に探すことが大切-
- 人間の行動は信じることから始まる?-教養は人間社会で豊かに暮らすための道標-
- 確証バイアスと医者-誤診の裏に自信あり-
- アンカリング効果とは-プロにも働く強大な力-
- アンカリング効果と洗脳-信頼できる情報を積極的に取得せよ-
- アンカリング効果の認知心理的プロセス
- アンカリング効果に潜む二つの要因-不確かさはアンカリングを助長する-
- ランダムなアンカーの魔力-どんなものにも人は意味を見出す-
- 「安く買って高く売る」の解釈とアンカリング効果
- 後知恵バイアス(Hindsight Bias)とは-不当な評価の温床はここにあり-
- 後知恵バイアス×権威とモラルの問題
- Cognitive Easeとは-System1が生み出す安らぎとリスク-
- 単純接触効果(Mere Exposure Effect)とは-繰り返しが与える安らぎ-
- 単純接触効果を学習に応用する-まず量こなせ、話はそれからだ-
- 単純接触効果を学習に応用する-効率を求めず量をこなすことがよい理由-
- 株価を見続けるリスク-Cognitive Ease祭りが中毒症状を引き起こす-
- 実力を運と勘違いする-慢心を防ぎ自らを成長させるための心構え-
- Domain Specificityとは-人間は何と非合理なのか!-
- 人間の本質を満たすために、人間は本質を考えるのが苦手である
- No skin in the gameの許容-Domain Specificityの無視が引き起こす問題-
- Skin in the gameとは-信頼度を測る最適な指標-
- Planning Fallacyとは-何故残念な計画が沢山存在するのか-
- 改善されないPlanning Fallacy-計画の目的はプロジェクトをスタートさせること-
- Norm理論とは何か
- 英語学習のちょっとしたアドバイス-背景を知ることが大切-
- 因果関係を知りたがる気持ちは生まれつき備わっている
- 人間は可能性をリアルさで捉えてしまう
- 想像するリスクと実際のリスクとの間には大きな隔たりがある
- リスクに対するリアルさを形成する要因-Availability heuristicと好き嫌い-
- 人はリアルさでリスクを評価する-地震保険加入比率で見るリスク管理の傾向-
- 人間の重大な欠陥-時が経つにつれて可能性とリアルさとのギャップが広がる-
- 平均回帰の無視-客観的事実を無視して直近を将来に当てはめる-
- 歯のケアと想定外-日常的なものからリスク管理を見直す-
- 帰納とリスク-不確かな分野で歴史を未来に当てはめてはいけない-
- 少数の法則とは何か-人は大数の法則を無視する-
- 少数の法則が私たちに与える影響-コイントスと投資ファンド-
- 仮定がおかしな結果は無意味-統計結果に対する最低限の心構え-
- リスクとDomain Specificity-リスクを考える分野、考えない分野-
- 心理学の知識を詰め込んでも、投資心理をコントロールできるわけではない
- 疑う気持ちが情報に対処するための一番の基本
- 終わりよければすべてよし
- 何故終わりよければすべてよしと考えるのかその1
- 何故終わりよければすべてよしと考えるのかその2
- System2からSystem1にもっていく